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青春18きっぷの旅2017夏4 甲斐武田のはじまりは? [歴史・史跡]

前回18きっぷの旅のテーマは、飯田線と、甲斐武田家の終焉でした。

「終焉」を巡ると、気になるのは、当然、「はじまり」

甲斐武田家のはじまりって、どこか、みなさんご存じでしょうか?余り知られていませんよね。

私自身も、当然、山梨県内、たとえば、勝頼が新府城を作った、韮崎市あたり(←うちの父の実家=私のルーツの近くなので、半分そうであってほしいと思っていました・・・)?と勝手に思っていました。

しかし、実は、山梨県内ではないんです。

甲斐武田家の「はじまり」の近所にある電信柱
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ここが「武田」という地名であることがわかりますが、どこだかわからないですよね。

この武田がある最寄駅の隣は、実はこの駅。
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茨城県の県庁所在地、水戸市。←これはちなみに武田の最寄駅の路線ではなく、水郡線のホーム。

甲斐武田のはじまりは茨城県=常陸国だった!

ということで、18きっぷの旅の次の行き先とテーマは、

甲斐武田のはじまり

それは、JR東日本 常磐線 勝田駅から徒歩20分程のひたちなか市(旧勝田市)にある、その名も武田地区。

行き当たりバッタリOKが青春18きっぷ旅のよいところd( ̄  ̄)

この日も出発したときは、常磐線勝田に直接向かう予定でありました。

この地域と言えば、常陸秋そば。
そろそろ新そばの季節?と思い、検索しましたが、勝田駅周辺の歩いて行ける距離には、これと言った店がない・・・

実は、この日の目的、武田のはじまりの他に、もう一つありました。

水郡線の「乗り残し」区間に乗ること!

水郡線とは、水戸から福島県郡山を結ぶ路線。
記事にしたかどうか忘れましたが、以前、水郡線には、乗ったことがあります。

その時は、郡山~水戸まで乗車。

しかし、これは、水郡線の全てではありません。水戸から6つ目にある上菅谷駅から常陸太田駅へ、北の方角に延びる支線があるのです。

いつか乗らなければ、と思っておりました。

・・・興味ない方には全く興味ない、鉄っちゃんの発想で、スミマセン。

しかも、常陸太田といえば、常陸秋そばの産地の近く。

調べたところ、歩いて行ける距離によさげなお蕎麦屋さんを発見!

ということで、急遽予定変更して、水戸から水郡線で常陸太田に向かうことにしました。

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常陸太田駅
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比較的新しい駅舎。

駅の中にも木材がふんだんにつかわれています。
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ついた時間はちょうど昼時。検索したお蕎麦屋さんに向かって歩きます。

常陸太田の古くからの中心街は、鯨ヶ丘とよばれる丘(横から見ると、鯨みたいにみえることから、この呼び名となった模様)のうえに広がっています。

常陸太田駅は、丘の上ではなく、下にあります。←高いところに鉄道通すの大変だからね。

お蕎麦屋さんがあるのも、丘の上。

ということで、駅からなだらかな坂を上がって行きました。


20分位で、目的のお蕎麦屋さんへ。
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「鯨荘 塩町館」さん。鯨ヶ丘にあるから、鯨荘なんですね、きっと。

この趣ある建物は、もともと、太田銀行として使われていたもの。明治時代の建物で、モダンで素敵です。
写真はありませんが、建物の中も、シンプルで素敵でした。

お待ちかねのおそば。
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これは、ネギ天せいろ。ネギの天ぷらです。めずらしい。ありそうでないですよね、ネギの天ぷら。ネギはもちろん地元でとれたもの。

そばも天ぷらもおいしかったです。

ここは、慈久庵という、同じ市内の有名店の姉妹店らしいです。

大変人気があるお店のようで、ひっきりなしにお客さんが来ていました。

塩町館さんのお隣
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塩町館さんの道路はさんだ向かい側には、こんな石碑が。
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幕府の徒目付(かちめつけ)のお屋敷があったようです。

近所にもこんな趣ある建物が。
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これは重要文化財に認定されているようです。

・・・などなど、丘の上にたくさんの歴史的建造物が。

古くから栄え、この地形故、戦災にも遭わなかったから、建物が保存されているんでしょうね。

なんで古くから栄えたかと言うと、このあたりは、中世は、佐竹氏の居城だったからです。

丘がそのまま、天然の要害だったからでしょう。

佐竹氏は、その後、秋田に国替えになります。今も秋田県の知事は佐竹さんだったような・・・。

そして、この佐竹氏、武田氏のはじまりにも、関係していることが後ほど判明します・・・。

ということで、常陸太田駅に戻り、水郡線に乗車。
といっても、電車は、支線の終点・上菅谷どまり。
水戸行きに接続するまでちょっと時間があるので、18きっぷ恒例の途中下車。

上菅谷駅の駅舎。
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駅前を歩きまわったけど、見事に何もなかった・・・

ということで、上菅谷駅に戻り、郡山方面からくる、水戸行きを待ちました。
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支線ホーム。

そして、水戸駅で、常磐線に乗り換え、勝田駅へ。

駅からは、電信柱にところどころに案内表示があり、迷うことなく、武田の「はじまり」に復元された館跡へ。
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ひたちなか市HPより引用
平安時代末期(12世紀初め頃),源義家の弟義光は常陸国への進出を図り, 長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に,三男義清を当地,那賀郡武田郷に土着させました。義清は地名をとって武田を名乗り武田氏の始祖となりました。
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つまり、武田がなんで武田になったかというと、この地が古くから武田と呼ばれていたから。

それよりも、佐竹郡の常陸太田とは、先ほど伺った常陸太田でしょう。
つまり、武田のはじまりと、佐竹は、兄弟だった、ってこと。
現地に行くまで、知りませんでした(´⊙ω⊙`)

この日、常陸太田を訪ねたのは、私が鉄だから。でしたが、偶然にも武田のはじまりにも関連していたとは。感動でした(^ω^)

厩。武田と言えば、騎馬軍団だからか?
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常陸で武田を名乗った武田氏は、その後、勢力争いに負けて、甲斐へ行くことになります。

私はといえば、武田氏のはじまりの館跡に行った後、勝田駅にもどり、勝田始発の常磐線普通で、帰途に着きました。もちろん、土産にそば焼酎かかえて。赤土というそば焼酎、絶品ですよー(^ω^)

余談ですが、常磐線は、勝田発着が多く、勝田からならほぼ確実に座れます。水戸で座るのは、ちと難しかったかも。
その意味でも、今日の行程は完璧だったと自画自賛満足d( ̄  ̄)
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青春18きっぷの旅2017夏2長篠設楽原古戦場跡 [歴史・史跡]

青春18きっぷの旅2回目の目的地の一つは、ここ
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長篠城駅です。
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長篠城は、武田と徳川が覇権を争った城。甲斐武田終焉のきっかけとなった、長篠の戦いの長篠城です。長い間、行ってみたいと思っていた城址の一つ。

長篠城駅は、愛知県の豊橋から長野県の辰野を結ぶ、JR飯田線の駅です。

豊橋駅
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今回、愛知県に仕事で行くついでに、念願の長篠城に行くことに!

それに、飯田線は、長い間乗ってみたかった路線。

というのも、愛知県・静岡県・長野県の境を走る飯田線は、実は武田終焉を巡る路線?

何故かと言えば、武田信玄が亡くなる前の最期の城攻めは、野田城と言われていますが、その野田城址は、飯田線沿線。
沿線に野田城駅もありますd( ̄  ̄)

野田城攻めの後、武田軍は、京都に上るかと思いきや、信玄が病に倒れ引き返し、信玄は、甲府までたどり着く前に信濃の駒場で亡くなったと言われています。亡くなった場所については諸説ありますが。

その駒場は、長野県阿智村付近と言われています。

阿智村は、鉄道が通っていない村ですが、最寄は、飯田線。かなり距離はあるようですが。

瀕死の信玄一行が引き返して行った三河街道は、飯田線の山越えた向こうですが、飯田線とほぼ平行して走っていたのではないかと。

では、出発!

豊橋駅の飯田線ホーム付近になぜか改札口が。


手前飯田線、奥東海道線、いずれもJR東海の車両なのに
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あ、JR東海の車両と車両の間に赤い電車が入ってきた!
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名鉄です。

東海道線と飯田線の間になぜに名鉄????

というのは、飯田線は、しばらく名鉄と並走して走りますが、この線路がなんとJRと名鉄併用区間!

だから改札口があるんですね!

最初に向かったのはこちら。
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なぜか豊川稲荷?

当初の計画では、長篠城に直行する予定だったのですが、豊橋駅でトイレ行ってる間に、長篠城まで行く電車が行っちゃった( ̄Д ̄)ノ

次に長篠城まで行く飯田線は、一時間後d( ̄  ̄)
商売繁盛の神様豊川稲荷は、豊川駅から歩けそう。ということで、急遽次の飯田線の終点豊川へ(^_^)☆
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こんな急な予定変更ができるのも、18きっぷならでは。
ちなみに、豊川稲荷、「稲荷」といっても神社ではなくて寺です。ですが、鳥居がありました。神仏習合ごちゃまぜが、日本らしい。


余り時間がありませんでしたが、門前で名物の稲荷ずしゲット。
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急いで豊川駅に戻り、本長篠行きに乗車。

途中、野田城趾を車窓から眺めつつ。戦国武将が駆け回っていたんだろうな、と思いをはせつつ。

車内で、稲荷ずしを食べました。ボリュームたっぷり、お腹いっぱい。
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寄り道して、本日の目的地長篠城にやっとたどり着きました(^_^)☆
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早速、城址に向かいます。

途中、遺構らしき標識が。
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郭趾のようです。

本丸趾が見えてきました
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飯田線の線路に沿って、堀など遺構がよく残っています。
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線路の向こうにも遺構が。踏切をわたります。
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井戸のあと。城址にはつきもの。
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野牛郭趾
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つまり、飯田線の線路は、長篠城の中を突っ切っていますψ(`∇´)ψ

続いて、長篠城址史跡保存館へ。
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長篠の戦いの際、徳川方の援軍を呼び戻ってきて、捕らえられ、武田方によって磔にされた鳥居強右衛門についての展示が充実しています。というか、この付近では、強右衛門人気。
飯田線の長篠城の隣の駅は、強右衛門に因んで、鳥居って駅名だし。

強右衛門は、捕らえられた後、援軍が来ないという嘘の情報を伝えるよう、武田方に迫られます。
しかし、それに従わず、長篠城の対岸で磔にされます。

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このフェンスの向こう対岸が、鳥居強右衛門磔の地とされています。が、緑が生い茂り、よく見えないd( ̄  ̄)

保存館を後にして、設楽原古戦場跡方面へ。

途中、武田方武将のお墓が。
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設楽原で戦死した馬場美濃守のお墓。実は亡くなったのはここではなく、川の上流、北の方。ですが、ここには首が埋められているとか。

このようなお墓が、この辺りには沢山あります。

途中、新東名の下をくぐったりして、30分位歩いて、設楽原歴史資料館につきました。

屋上からは、古戦場跡が一望できます。
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真ん中の田んぼのあたり、馬防柵が復元されています。
手前が武田方、奥が織田・徳川連合軍方

馬防柵とは、織田・徳川連合軍が、設けた、武田軍の騎馬の突入を防ぐ柵。
この柵の向こうから、火縄銃を連射して、武田騎馬軍団を撃退した、というのは、有名。

設楽原は、初めて火縄銃を本格的に使った戦いということで、歴史資料館は、火縄銃の展示が充実。

歴史資料館を出たところに、こんなものが。

首塚です。
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設楽原の戦後、そこらじゅうに戦死者の死体があったのを、地元の方が祀ったと言われています。
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この辺りは、武田の陣地だったので、武田方、ということで、信玄塚と呼ばれている模様。
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もう信玄は亡くなっていますが、武田といえば、信玄、ということなんでしょう。

そういえば、この辺りの台地も、信玄台地と呼ばれています。武田方が陣取ったからでしょう。

ここから歩いて10分ほどで、三河東郷駅。
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再び、飯田線に乗って、辰野方面へ。
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向かったのはこちら。
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え、温泉?
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今宵の宿です。
続きは、またの機会に。

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謹賀新年 [歴史・史跡]

我が家の元旦は、恒例、旦那作白味噌雑煮でスターウォーズ三昧^_−☆
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何がスターウォーズ三昧かって?
おせちは、スターウォーズおせち。
それから、テレビに映ってるのは、スターウォーズエピソード6.
wowwowでやっていた年越しスターウォーズ7作のうち、エピソード1.2.3でいったん寝て、起きてから6.7を見てしまったヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

スターウォーズでフォースにまみれたあと、フォースに導かれて、こちらへ。

西新井大師
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空海が平安時代に創建したと伝えられる、真言宗豊山派のお寺。
関東の三大師として、有名なためか、すごい人。

参道も、こんな感じヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
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実は、元旦に初詣に行ったのは、初めてかも。
こんなに混むとは、びっくりでした。
西新井大師駅付近から行列、参詣まで、50分もかかりました。

待っている間、ふと、
初詣って、いつから行われているんだろ?
と疑問に思い、調べて見た。

現在のような形の初詣が行われるようになったのは、実は、明治時代末期ころ。

鉄道網の発達と関係しています。

江戸時代末期までは、年篭りという習わしが。

家長が、氏神や、その年の恵方の神社などに大晦日の晩から篭り、一家の繁栄を願う習わし。

氏神や、恵方に関係なく、有名な神社仏閣に参詣するようになったのは、明治時代。

明治中期ころ、鉄道網が発達しはじめましたが、乗客が少なければ、やっていけないのは今も昔も同じ。
しかも、当時の鉄道運賃、そんなに安くない。

そこで、鉄道会社は、沿線の観光案内図を出すなどして、鉄道に乗ってもらうように頑張ったのです。
そういえば、この時代の沿線案内図、鉄道の歴史の展示などでは、定番。

初詣も、沿線の目玉の一つ。
いわば、鉄道会社の営業戦略のようです。

沿線の目玉として、初詣を広めた、ということのよう。

フォースにまみれ、鉄道の歴史にも触れた、私らしい正月を迎えとります。


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白鷺城 [歴史・史跡]

約4ヶ月のご無沙汰です。
仕事は全く落ち着いてないのですが、先日久々の完全オフ。

夫婦でここに行ってきました^_−☆
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姫路城です。

最近大規模な修繕が終わり、白すぎ?とか言われたこともありましたが。

修繕完了からしばらくたっているせいか、そんなに白いという感じはしませんでした。

ただ、城自体の規模の大きさ、防御設備の充実には、驚きました。

というのも、この天守が建てられたのは、関ヶ原の後、大阪の陣前。

西国のおさえとして、戦う為の城として、建てられたもの。

天守を建てたとされる、池田輝政は、徳川家康の娘婿。池田自体は外様大名ですが、家康に信頼されていたのでしょう。

その後の城主は、すべて徳川譜代の大名が務めていますが、ちょっとでも問題があると、すぐ国替え。

例えば、城主が若くして亡くなり、幼い子供が後を継がなければならなくなったり。

多額のお金を払って女性を身請けしたことを将軍にとがめられ、国替えになったり。


ちょっとでも問題があると、攻められる可能性がありますので、国替えになったというわけ。
それだけ、将軍家がこの城を西国の押さえとして、重視していた証拠です。

そのため、姫路城は、城主が、ころころと変わった城でした。


それから、姫路城天守は、空襲を奇跡的にまぬかれたということで、有名。

一体が、焼け野原となった中で、天守だけが立っている写真を見ましたが、圧巻でした。

天守を襲ったのが不発弾だった、とも言われています。

とにかく、すごい城でした。



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中城城 [歴史・史跡]

所用で、沖縄へ。

ついでに、念願のこちらの城跡へ。
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中城城。なかぐすくじょう、と読みます。

「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」が世界遺産に登録されていますが、グスクとは、琉球王国の城。
つまり、琉球=沖縄の「城」は、「ぐすく」と読みます。
なので、中城城は、「なかぐすくぐすく」と読むのでは?とも思うのですが、そうではないのであります。

で、ここに行くのがなんで念願だったか?

理由一つ目は、沖縄県では、もっともよく遺構が残っていると言われていること。

これは、現地にある模型ですが、全体の様子がよくわかります。
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ここは、まだ、琉球が3つに分立していた14世紀の後半ごろ、主要部分が築かれ、その後、1440年に護佐丸が増築、完成したと言われる城。
護佐丸が1458年、他の城(勝連城)の城主の攻略によって滅びた後、しばらくして統一された琉球王国の所有になったとか。

その後、薩摩の島津氏が侵略した、江戸時代を経て、

明治時代から終戦までは、村役場が置かれるなど、行政の中心地でしたが、沖縄戦で建物が焼失し、各時代にどんな建物が立っていたか詳しくはわかっていないとか。



念願だった理由二つ目は、城跡から海が見渡せること。
沖縄の城跡と言えば、琉球石灰岩でできた城壁。石灰岩とは、サンゴの死骸でできた石ですので、本土の石垣の石とは一味違う。それに、城壁の曲線も、なんともいえず、きれい。
そして、沖縄の海は、なんとも言えない、エメラルドブルー。
これに、青空が加われば、きっと、えもいわれぬ素晴らしい景色なことでしょう・・・想像がふくらみます!

沖縄は梅雨入りしていましたが、この日は、幸いに晴天に恵まれました。


念願だった理由三つ目、空港のある那覇市内から、バスで行けそうなこと。

前回沖縄に行ったときは、どのバスにのればよいのか、よくわからず、断念したのですが、今回、下調べした結果、何とかバスでたどりつけそうなので、再チャレンジしてみたのです。

城跡へは、那覇のバスターミナル発着の30系統のバス(行先表示に30と表示されている。泡瀬営業所行など、泡瀬東線)で、一時間ほどの、「久場」(くば)というバス停で降り、徒歩15分ほど。片道790円なり。休日でも30分に1本程度は便があります。(以上、2016年・平成28年5月末現在の情報です)

バス停から、バスの進行方向に向かって、先にしばらく歩くと、左手に久場公民館が。その前を左折し、後は道なりに15分上っていき、上りきったところを右に曲がると、城跡付近。

15分とはいえ、ずーっとだらだらした上り。登山です。きついはきついですが、アスファルトの舗装された道なので、山道という感じではありません。
それに、後ろを振り返ると、エメラルドブルーの海が見えます。時々、海を見て休憩しながら、何とかたどりつきました。



裏門側から入城すると
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そこは「北の郭」
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北の郭には井戸が。今もこんこんと湧いてます(@_@;)
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水を確保することは、籠城するときに極めて重要なこと。中城城は、このほか、もう一つ城内に井戸を確保していました。

二の郭。南西側城壁。エメラルドブルーの海が見えます。実際はもっときれいでした。
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かつて、この近くの屋宜というところに貿易港あり、そこでの貿易で栄えたとか。
ちなみに、屋宜というバス停、バスで通ってきたなあ、そういえば。

二の郭。南東側かな?この城壁のきれいなカーブが特徴です。
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二の郭には、忠魂碑が。→沖縄戦のかな?
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沖縄戦含め、いくつもの戦場となった場所です。

一の郭への入り口の門。
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一の郭には、正殿が建っていたようですが、どのような建物だったか、わからないそう。

順路の一番奥にあるのが、正門です。
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城址の手前に、護佐丸の墓が。
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沖縄の独特の墓の形。17世紀にたてられたもののようです。
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墓の前の石碑。護佐丸の名前が彫られています。これは、大正11年に建てられたものですが・・・。
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チケットには、幕末、ペリー提督一行が調査に入ったときの、絵が。
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建物が見えますが、これは、現在ではありません。

それにしても、暑かった・・・

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金沢は今日も雨(; ̄ェ ̄) [歴史・史跡]

先日、毎年恒例少年院見学で、金沢市の湖南学院に行ってきました。しょうなん、ではなくて、こなんです。

湖南の名称は、昔は、もっと海岸に近い方にあり、今はなき湖の南にあったから、湖南。
ベーカー街にある(シャーロックホームズの作者のコナンドイル)訳でも、少年コナンと関係している訳でもありません(; ̄ェ ̄)・・・当たり前か。
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平成24年建て替えたばかりの、非常に新しい建物で、建物内至るところに丸みを帯びたデザインを採用するなど、温かみを感じるよう工夫されていました。

翌日は、金沢城他、戦災を免れた金沢の歴史溢れる街並みを堪能しました(^_−)−☆

金沢駅東口の「もてなしドーム」北陸新幹線開業に合わせて建設された、玄関口。
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長町武家屋敷街。江戸当時の街並み(用水路、土塀など)が、そのまま保存されて残っています。
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こちらは明治大正期の建物ですが、昔の陸軍の兵器庫だった、レンガ造りの建物も、そのまま残っています。
現在は、歴史博物館等になっています。
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ご存じ、兼六園。紅葉の見ごろは、もう少し後かな?
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ここは、金沢城の庭園として造られた、日本屈指の名庭園。
個人的には、江戸城の庭園より、立派だと思いました。

兼六園から橋を渡ると、金沢城。
ちなみに、橋の下の道路は、昔堀だったところを、そのまま利用しています。

金沢城と言えば、この建物。
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これは、実は、江戸時代の建物ではなく、最近になってから、莫大な費用をかけて、復元したもの。
ただ、この復元建造物のすごいところは、外観だけを復元したのではなく、内部まですべて、当時の工法で復元されていること。他の城の復元建造物が、外観だけを復元して、内部は普通の建物になっているのが多いのと、対照的。

江戸時代からの現存建造物は、兼六園に面した、石川門
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鶴丸倉庫
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そして、三十間長屋。
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いずれも、立派。さすがは、加賀百万石です。

そして、金沢城と言えば、石垣の博物館と言われるほど、いろいろな石垣が見られます。
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すべて違うのが、おわかりいただけますよね。

また、本丸付近は、紅葉もきれい。
この時期は、夕方~ライトアップ。
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この時、時刻はまだ午後4時頃なのですが、お天気が悪かったのもあり、すでにライトがついており、幻想的な雰囲気をちょっと味わうことができました。
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その後、浅野川沿いにある、二つの茶屋街へ。お茶屋とは、芸者遊びをするところですね。

主計町茶屋街。
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ひがし茶屋街。
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すでに時刻が午後5時ころになっていて、茶屋の公開時間は終了していましたが、ライトアップされたところが見られたので、正解でした。

金沢グルメも堪能。

治部煮
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寒い地方ならではなのでしょう、とろみのある、煮物。

のどぐろの握り。
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近江町市場の回転ずしで。
回転寿司なので、リーズナブルですが、味は本格的でした(#^.^#)

写真でお分かりのとおり、ず~っと雨が降ったりやんだりでしたが、これ以外にも、古い建造物がたくさん残っていて、金沢、堪能しました(^_-)-☆

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春日山城 [歴史・史跡]

毎年恒例の大学生の移動法律相談で、新潟県は上越市へ。

まず北陸新幹線で上越妙高駅へ。ここは、開業前は脇野田駅でした。開業と同時に駅名が変わったのです。
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新幹線開業と同時に、在来線は、第三セクターに。これも、おきまりのパターン。
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新幹線に合わせて、新潟方面へは連絡特急しらゆきが接続。今回は乗らなかったけど。
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なお、JRではないので、青春18きっぷは、使えないらしい。

上越妙高駅の西側の山に夕日が沈んでいきます。綺麗ですね^_^
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で、本来の業務が終わって、これも恒例の山城めぐり。

今回は、当然こちらへ^_−☆
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上杉謙信の居城で余りに有名な、春日山城です。

レンタサイクルが見当たらなかったので、春日山駅から、てくてく、30分歩きます。

前方、セブンイレブンの看板の左手が、城跡らしい。縄張りがよく残っているのが、遠くからもわかりますね。
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大手道の入り口付近で、こんなかわいいお出迎えが。ただ、これは春日山キノコ園の看板のようです。
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大手道を行ってみることに。
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この先、大手道が復元されている模様。ただ、余りにも人がすくなかったので、くまさんのところまで引き返すことに。
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くまさんのところから、舗装された車道を、謙信公銅像方面へ。

途中から、すごい急坂です。

なぜか、銅像の少し手前、道路下に土俵??
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やっと謙信公銅像前にたどり着く。普通は、ここまで車で来て、ここから車を止めて歩くらしい。
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銅像の裏手から、登城、というか山登り。縄張りがはっきり、よくわかります。
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家臣の甘粕近江守のお屋敷跡。
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この辺りまで登っただけで、この絶景(^_−)−☆
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三の丸あと。
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上杉三郎、つまり景虎の屋敷あと。謙信の死後、跡目争いで、景勝に敗れた景虎です。
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米蔵あと。向こう高くなってるのは、土塁でしょう。
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天守閣あと。なお、天守閣、と言っても、きちんとした建物はなく、物見櫓のようなものがあっただけと言われています。
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確かに、天守閣あとからは、この眺め。城下が一望できます。
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いよいよ本丸あと。春日山城址の石碑がたっています。
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本丸からの絶景。パノラマ写真、あまり上手く撮れませんでしたが。
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本丸から、下り道に入ると、戦いの前、謙信が篭ったとされる、毘沙門堂が、復元されています。
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大河ドラマでは、お堂ではなく、洞窟に篭ってましたね、そういえば。

毘沙門堂の中には、毘沙門天の仏像。
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毘沙門堂の少し下、直江屋敷あと。直江兼続の屋敷あとですな。
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登りは、15分足らずで登れますが、結構苦しかった( ̄Д ̄)ノ下りは、あっという間でした(^_−)−☆

因みに、上越妙高駅の新幹線改札前に、

春日山城のジオラマと、
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謙信公着用の鎧のレプリカ。
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その後、謙信公を祀った、春日山神社にお参り
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神社前の石段。
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銅像前に戻り、茶店で、謙信力そばをいただき、春日山をあとにしました。
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帰りは、謙信公のお墓がある、林泉寺により、
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因みに、写真撮り忘れたのですが、この門の手前の惣門は、春日山城から移築されたものと言われております。だとすると、唯一の現像建造物ですな。
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謙信公のお墓参りをして、
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直江津駅まで、歩いて、帰りました。疲れたけど、充実した、山城攻めでした(^_−)−☆
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伊香保温泉 [歴史・史跡]

修習生との弁護士会の旅行で、伊香保温泉に行って来ました。
万葉集にもその名が見える、古い温泉です。

伊香保といえば、この石段
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江戸時代、近くの神社や寺の参拝客のために、温泉街と石段を作ったとか。

私も実際歩き回り、石段がないところも坂道だらけで、筋肉痛になりましたが、よくもまあ、こんな傾斜地に温泉街を作ろうと思ったものだと・・・

石段がないと、観光に来ようと思わないでしょうね( ̄Д ̄)ノ

石段の頂上は、伊香保神社。

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江戸時代には、かなりの人が訪れたため、関所があったとか。
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かつて、ハワイ公使が、ここを気に入り、公邸を建てたとか。
今は使われていませんが、建物が保存されています。
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伊香保には、今は、JR上越線渋川駅からバスで向かうのが一般的。
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明治時代には、伊香保に向かう、チンチン電車があり、たいそう賑わったとか。

チンチン電車が、伊香保温泉街のはずれに、保存されています。
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チンチン電車というか、ほとんど登山電車だったとか。
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今は、新幹線と
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北陸新幹線はくたか、かっこいいです〜(^_−)−☆

上越線普通電車
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バスで向かいます。

チンチン電車は、このバス網の発達で、廃止されました。

湯の花饅頭
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この黒い温泉饅頭も、伊香保が発祥と言われているらしいです。
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城下町サイクリング [歴史・史跡]

ジャーマンアイリスに続き
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すずらんが満開(^_−)−☆
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先週末あたりは、共演が楽しめました。
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そんな中、GW突入、例によって、旦那とは見事に全く休みが合わないので、恒例の史跡散策。

今年は、もちろん、愛車で(^_−)−☆
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え、史跡ではない?

ここは、数年前に訪れた、岩槻城址公園。愛車で再訪(^_−)−☆

東武特急きぬ、前に来たときは外から見ましたが、今回は中へ。
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子どもたちが、いなくなった隙を見計らって。
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元岩槻市役所の近くの一里塚
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岩槻藩の藩校、遷喬館
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1799年の建物が未だ残っています。藩校の建物が現存しているのは、県内では唯一、全国的にも比較的珍しい。

近くに酒蔵が。
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実は、普段通勤している距離とほぼ同じ距離の岩槻。

また、来ようと思います(*^_^*)
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歴史巡りポタリング [歴史・史跡]

連休明け、雨の仕事初めになってしまいました(; ̄ェ ̄)

連休は、お天気でした。
1日目土曜日は、夫が休みなのに私は午後から仕事だったのですが、2日目3日目は、夫は仕事。私は自転車でぷらっとお出かけ。

春日部八幡神社
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七五三の参拝者が沢山いました。
手前は、御神木のイチョウ。きれいに色づいています。

イチョウの手前には、紅葉の木も。
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八幡神社の隣に、稲荷神社。参道のイチョウ並木がきれい(^_−)−☆
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実は、このあたりは、古くから栄えた場所。浜川戸遺跡。数々の遺物が発掘されています。
なぜかというと、この近くを流れる、古隅田川と古利根川がもたらす土砂が堆積してできた、河畔砂丘という、珍しい地形で、周囲よりも高くなっているから。

八幡神社一帯は、ちょっとした山になっています。
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周囲は、平坦な土地なのに、突如山が現れます。

え、2合目?
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これは、江戸時代、砂丘を利用して、富士塚が作られたのです。

富士塚に登ってみました。

下を見たところ。
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八幡山をあとにして、古隅田川沿いをぶらり。

古隅田川は、文字通り、昔の隅田川。

江戸時代、水害を防止し、田んぼを新たに開発するため、関東平野では、いろんな川の付け替えが行われました。

例えば、利根川。
昔は、東京湾に注いでいたのですが、銚子から太平洋に注ぐように、付け替えが行われた・・・というのは、千葉県民にとっては、郷土史でおなじみの話です。

この古隅田川も、古くは利根川の流れだったらしいです。

古隅田川の堤防跡の公園に、江戸時代の石橋が、移築されて残っています。
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これは、現代の県道にかかる橋ですが、業平橋というのもあります。
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江戸時代は、もっと上流にあったそうですが、在原業平の船塚があったといわれる、その近くにかけられたから、業平橋、と名付けられたそう。

実は、有名な都鳥の歌は、東京の業平橋ではなく、こちらの春日部の業平橋で詠まれた、という説があり、江戸時代の句碑が春日部八幡にあるらしい。←今回見逃したけど。

ここ業平橋は、そのような説に依拠して、江戸時代に名付けられたようです。

ちなみに、東京の業平橋の近くの駅は、今や一大観光地となった、東京スカイツリー駅。昔は業平橋駅でした。こんな由緒ある駅名を変えるなんて、ひどいと思ったものです。

ここ、春日部の業平橋の最寄は、豊春駅です。
この駅名は、この辺りが明治22年の町村制施行時、豊春村だったことに由来。豊春は、町村制施行時に生まれた新しい地名で、豊かな春を迎えるように、との願いがこめられているとか。

その後、豊春駅近くのタイ料理屋で、グリーンカレーを食べ、
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春日部の農業祭で、大根を50円、塩えんどう豆を150円でゲットして、帰りました(^_−)−☆

その日の夕飯。

仕入れた大根の葉っぱと皮をシャケフレークと一緒に炒めたのと、大根サラダ
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大根ポトフと塩えんどう豆
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翌日。

岩槻区の真福寺貝塚へ。
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といっても、周りにはなーんもありません。

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国史跡の石碑と、標識あるのみ。
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耕されているように見えるのは、発掘のあとでしょうか?
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一応、満足したので、帰途につきました。

途中、何だか気になる寺が。
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江戸時代創建の寺で、仁王門と、金剛力士像が有名らしい。知らんかった。
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帰途に着く前に、ランチ。連休の締めは、やはり蕎麦。
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その日の夕飯。

農協の直売所でゲットした人参とスパムの炒め物、キノコマリネ、他は、前日の大根料理の残り。
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